食堂の原点 その1
幼いころ岡谷市に住んでいた私は、
月に1度だけ楽しみにしていることがあった。
母子家庭だったので、母は朝早くから夜遅くまで働いていて
外で食事をするなんてことはなかった。
給料日後の日曜日に原付バイクの後ろに乗って30分かけて、
町まで出向き、外食をするのだ。
その食堂は光玉(確かこの漢字だったよね?)
まさに昭和の食堂で、うどんからラーメンからかつ丼から
何でもそろっていた。
休日なので家族づれが多くて、いつも賑わっていた。
私がいつも注文したのは「肉うどん」
母は肉屋の娘だったくせに、肉が嫌いで食卓に肉料理が出たことは
なく、唯一この日に私はタンパク質を補給するのだ。
これがほんとに美味しかった。
今みたいにしこしこのうどんではなく、少し煮込んであって
柔らかい麺で、肉の味がしみ込んだ、あまじょっぱい黒い色の出汁だったように記憶する
今はもうお店はないけれど、
もう一度食べてみたいな。
ほんと美味しかったんだよね← くどいか…
やっぱり食べ物ってすごいパワーを持ってるよね。
何十年たっても忘れられない味があるんだ。
そしてこの話はお嬢にいつも聞かせてるので、くどいとか、
食意地がはってるだけじゃんと言われてます
月に1度だけ楽しみにしていることがあった。
母子家庭だったので、母は朝早くから夜遅くまで働いていて
外で食事をするなんてことはなかった。
給料日後の日曜日に原付バイクの後ろに乗って30分かけて、
町まで出向き、外食をするのだ。
その食堂は光玉(確かこの漢字だったよね?)
まさに昭和の食堂で、うどんからラーメンからかつ丼から
何でもそろっていた。
休日なので家族づれが多くて、いつも賑わっていた。
私がいつも注文したのは「肉うどん」
母は肉屋の娘だったくせに、肉が嫌いで食卓に肉料理が出たことは
なく、唯一この日に私はタンパク質を補給するのだ。
これがほんとに美味しかった。
今みたいにしこしこのうどんではなく、少し煮込んであって
柔らかい麺で、肉の味がしみ込んだ、あまじょっぱい黒い色の出汁だったように記憶する
今はもうお店はないけれど、
もう一度食べてみたいな。
ほんと美味しかったんだよね← くどいか…
やっぱり食べ物ってすごいパワーを持ってるよね。
何十年たっても忘れられない味があるんだ。
そしてこの話はお嬢にいつも聞かせてるので、くどいとか、
食意地がはってるだけじゃんと言われてます